ある本を読んでいるときに、護国神社というワードが出てきた。「そういえば、鳥取に護国神社っていう神社があったような?」と思い調べてみると鳥取県護国神社という神社があった。そして、恥ずかしながら、その本を読んで初めて護国神社が何のための神社なのかを知った。護国神社は、国のために殉職した人の御霊を祀る神社で、各都道府県に存在する(東京都は靖国神社、神奈川県だけないらしい)。
私は、大人になってから歴史、特に近現代史に関心を持つようになり、県外に行ったときには太平洋戦争にまつわる場所を訪れ、数多の犠牲のもとに今の平和があるのだと、平和の尊さ、様々な選択ができる自由、この豊かな生活に有り難みを感じている。そんな中、日本のために戦い亡くなった戦没者の御霊に手を合わせる、というのは日本人としてやっておきたいと思っていたので、護国神社が近くにあるというのは結構嬉しかった。ということで、早速、護国神社に参拝してきた。
護国神社の駐車場に着くと、そこから鳥取砂丘が一望できる。意外と穴場かもしれない。
護国神社の拝殿。恐らく参拝する人が少ないのだろう。老朽化が目立っており、保全するのが難しい状況のだろうと推察する。Webサイトで他県の護国神社を見ていると、その違いに驚きと寂しさを覚える。そして今後も維持できるのかが心配になる…。
拝殿の横には、戦没者の名前が連なっており、写真もある。写真の多くは、鳥取で徴兵され、陸軍歩兵第40連隊に所属し、フィリピンのルソン島で戦い、亡くなった方々の写真であると思われる。それと、護国神社の歩みや戦後の写真などが展示してある。
後、九二式重機関銃や装備品が展示されていた。これは、実際にフィリピンのルソン島で米軍との交戦で使用されたものらしい。鳥取でこういった展示品はなかなか見ることができないので貴重だと思う。
陸軍少年飛行兵の慰霊碑。昭和9年2月に、パイロット養成を目的として、陸軍少年飛行兵制度というものができ、14歳から16歳の志願兵を募り、合格者は陸軍少年飛行兵学校にて1年間の総合教育を受け、その後適正によって操縦、整備、通信の専門科目に分かれて1年弱から2年間の教育を受け、実戦部隊に配属されたそうだ。その戦地でなくなった人もいれば、中には終戦末期に特別攻撃隊員として招集され亡くなった人もいるそうで、その若くして散った人たちの御霊を慰めるための慰霊碑。
鳥取市にお住まいの方は、週末にでも行ってみるといい。この地にも、戦地に赴いた人々がいたのだと思うだけで、淡々と過ごす普段の週末とは違い、この時代に生まれたことへの幸せを感じ、より充実した時間を過ごすことができるのではないだろうか。
記事を読んでいただきありがとうございました。