>Blog>ブログ>行く年顧み、来る年語り、そして前後際断

あっという間に12月の下旬に入り、今年も残りわずかとなってしまった。2023年の年始めに掲げた目標はすべて達成することができたし、ほぼ毎日学習したり創作活動したりして、充実した時間を過ごすことができたので良い1年だったと思う。それよりも1年経つのがあまりにも早すぎて驚いている。まさに光陰矢の如しだ。20代前半の頃は、1年経ってもまだ20代という安心感があってか、時間に余裕を感じていたが、31歳ともなると、1年積み重ねるごとに40歳に近づいていく上に、時間がどんどん加速しているような感覚になり、変に焦りを感じてしまう。ただ、この焦りが1日1日を無駄にしてはいけないと、自分を律するためのモチベーションにもなっている。特に、歳とプライドだけが増えて、尊敬できる部分が少なく、中身の薄っぺらい中年にはなりたくないので、日々自分を磨いていきたい。

そして、来年達成できるかはわからないが、直近での大きな目標は、留学だ。日本は治安が良いし、食べ物も美味しいし、全国津々浦々インフラが整備されていて便利で清潔な国だし、非常に住みやすい国であることは間違いないのだが、そんな日本をちょっとばかし出て、異国で生活し、違う世界を見て感じてみたい。それに、日本はほぼ単一民族であり、日本に生まれ、日本の教育を受け、日本人として普通に暮らしていれば、民族的な意味においては、ほとんどの人がマジョリティ側であり、自分も常にマジョリティ側の人間として生きてきたのだが、異国に住み、人種も言語も文化も価値観もまったく違う人々に囲まれて、マイノリティ側の人間として生きてみたい。また、私は宗教観や民族意識についても興味がある。日本は仏教と神道の国であり、文化として生活に深く根付いているわけだが、だからといって日本人に強い信仰心があるわけでもなく、どちらかといえば自らを仏教徒だと自認している人はあまりいないような感覚を持っている。神道においても日本の歴史・文化そのものであり、宗教とはまた違い、何となく日本人の心の拠り所になっている気がしていて、仏教と神道がうまく神仏混合している。このように、日本は宗教観に関しては特殊な国であり、異国で色々な宗教観やバックグランドを持った人と話し、なぜ人は信仰心を持つのか、なぜ人は民族としての帰属意識を持つのか、考えてみたい。また、異国に住むというのは、言語の壁があったり、文化の違いによる戸惑いがあったり、不便さがあったり、人種差別されたりと、様々な困難に直面するのだろうが、それはそれで貴重な体験なので経験してみたい。費用面などの問題もあるので、いつ留学できるかはわからないが、これが直近の大きな目標である。

そして話が変わるが、私はこれまで長文の文章を書くということをあまりしたことがなかったのだが、最近こうやって文章を書いていると、物書きが好きな人の気持ちがなんとなくわかってきた。こうやって、思っていることや感じていることを文章にする楽しさというか、爽快感というか、そんなものを感じている。しかし、それと同時に文章を書いて発信するということが如何に難しいことかも痛感した。まず、文章力がないので、自分の思考をスムーズに言語化できないし、それを深掘りして長文の文章に起こすことも難しいので、文章を書くのに結構時間がかかる。他にも、未だに第一人称を私にするのか、僕にするのか、俺にするのかとか、「ブログなので敬語じゃなくてもよくね」とか、すごくどうでもいいことでで迷ったりしてしまう。まぁ、基本的に、これは自分を振り返るための日記のようなもので、そんなことを迷ったとて、と思うのだが、それでも迷ってしまう質でして…。そんなこんなで、今年も一年お疲れ様でした、と自分を労って終わる。2023年、お疲れ様でした。

nishimoto seiji

記事を読んでいただきありがとうございました。

Page Top